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「カチューシャの唄」知音都市交流

2017年 2月 15日

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「カチューシャの唄」が結ぶ知音都市交流作曲を手がけた4人

   「カチューシャの唄」は、大正時代初期に浜田市(旧金城町)出身の劇作家 島村抱月が設立した「芸術座」が全国公演した「復活」の劇中歌として大ヒットし、日本初の流行歌とも言われています。
 この「カチューシャの唄」を縁に作曲を手がけた中山晋平(中野市)、2番以降を作詞した相馬御風(糸魚川市)、劇中で歌った女優 松井須磨子(長野市)そして島村抱月(浜田市)のそれぞれの生誕地である4都市が平成2年から市民団体を中心として幅広い交流を行っています。
 平成21年には交流20周年を迎え、浜田市で開催された20周年記念祭をはじめとして今後の更なる活発な活動を目指したプロジェクト事業提言や知音都市交流のシンボルマークの選定などの記念事業が行われました。


 20周年記念式典の様子 

20周年記念式典の様子 

知音都市交流シンボルマーク 

知音都市交流シンボルマーク

 その他、地元出身の偉人ゆかりの地を歩いて巡る「金城三偉人ウォーキング大会」が開催され、三偉人の一人として島村抱月のゆかりの地を巡るコースの時にも多くの参加者にご参加いただいています。

 金城三偉人ウォーキング大会の様子

 

                                

 

 

「金城三偉人ウォーキング大会 」の様子                                    

「カチューシャの唄」を生んだ4人とそのふるさと

  ※各都市名から各都市のホームページにリンクしています。

「カチューシャの唄」を生んだ4人
出身地
市民団体名
都市の特産品・名所
相馬 御風(そうま ぎょふう) 
 歌人・詩人・評論家。
 早稲田大学の校歌「都の西北」を作詞。
 抒情歌人・詩人・自然主義文学評論家として
明治・大正・昭和にわたって活躍。
 「カチューシャの唄」の2番以降を作詞。
 
 
新潟県
糸魚川市都市交流協会
(特産品)
ヒスイ、海産物など
(名所)
相馬御風記念館、糸魚川ジオパーク、フォッサマグナミュージアムなど
中山 晋平(なかやま しんぺい)
 作曲家。
 「背くらべ」「てるてる坊主」など長く愛され続ける
童謡・流行歌・新民謡など3000曲あまりを作曲。
 「カチューシャの唄」の作曲を手がける。
 
長野県
中野市市民都市
交流会フレンズ
(特産品)
エノキダケ、巨峰など
(名所)
中山晋平記念館、高野辰之記念館、日本土人形資料館など
松井 須磨子(まつい すまこ)
 女優。
 抱月とともに芸術座を結成。近代女優として
日本新劇発展に貢献。「復活」の全国公演で
劇中歌「カチューシャの唄」を歌い、大ヒットとなった。
長野県
「カチューシャの唄」
知音都市ながの市民の会
(特産品)
りんご、おやきなど
(名所)
善光寺、松代城、川中島古戦場など
島村 抱月(しまむら ほうげつ)
 劇作家・小説家・詩人。
 日本現代演劇の創始者としてその普及・大衆化に
大きな役割を果たす。
「カチューシャの唄」の1番を作詞。
 
島根県
浜田市
「カチューシャの唄」
知音都市交流かなぎララ会
(特産品)
どんちっち三魚(あじ・のどぐろ・かれい)、ピオーネなど
(名所)
石見畳ヶ浦、しまね海洋館アクアス、美又温泉など

島村抱月 年譜

 

主なことがら
1871年
(明治4年)
 
1月10日、島根県那賀郡小国村下土居(現在の浜田市金城町小国)に生まれる。(幼名 佐々山瀧太郎)
1883年
(明治16年)
 
久佐小学校を卒業し、浜田で病院の薬局見習いや裁判所給仕などをしながら夜学に通う。
裁判所検事の島村文耕に出会う。
1890年
(明治23年)
 
上京し東京専門学校(現在の早稲田大学)政治学科へ入学したが、まもなく退学。
1891年
(明治24年)
 
島村文耕の養子となり、島村瀧太郎に改名。10月、東京専門学校文学科に入学。
1895年
(明治28年)
6月、島村文耕の姪であるいち子と結婚。
1902年
(明治35年)
 
東京専門学校の第2回留学生に選ばれ、英独へ3ヵ年の留学に旅立つ。(オックスフォード大学やベルリン大学で学び、西洋演劇を精力的に観劇する。)
1905年
(明治38年)
中山晋平が上京し、抱月の書生となる。
1906年
(明治39年)
抱月の立案で「文芸協会」を組織し、会長に坪内逍遥を選出する。
早稲田文学を復刊。相馬御風が早稲田文学社に入る。
1907年
(明治40年)
早稲田大学英文学科教務主任になる。
1909年
(明治42年)
 
文芸協会を改組し、「演劇研究所」を発足。第1期生として松井須磨子が入所する。
1913年
(大正2年)
松井須磨子らとともに「芸術座」を創立。
1914年
(大正3年)
 
「復活」を公演し、その劇中歌「カチューシャの唄」が空前の大ヒットとなる。(シベリアや台湾など海外公演を含め、全国津々浦々を巡回し公演する。)
1918年
(大正7年)
スペイン風邪による肺炎を併発し、11月5日、48年の生涯に幕を閉じる。

島村抱月ゆかりの地島村抱月ゆかりの地

 浜田市内には島村抱月の幼少期ゆかりの地やその功績を称えた碑などが多くあり、その足跡をしのぶことができます。

 ○島村抱月生誕地顕彰の杜公園
   抱月生誕の地である金城町小国にあり、抱月の胸像や顕彰碑、「カチューシャの唄」が流れるメロディーボックスがあります。

 ○浜田市金城歴史民俗資料館
   抱月関連の資料や遺品などを収蔵、展示しています。

 ○島村抱月顕彰碑
   抱月の業績をたたえた碑が建てられています。島村抱月生誕地顕彰の杜公園などとともに島村抱月文学散歩コースのひとつになっています。

  島村抱月の墓○島村抱月の墓
  平成16年に浄光寺(浜田市金城町久佐)に島村家の墓が建立され、抱月没後86年ぶりに故郷へ里帰りし、妻子とともに静かに眠っています。

  浜田郷土資料館には抱月が愛用していた机が保管されています。また、抱月が下宿していた下宿跡も残っています。

 

 「カチューシャの唄」  作詞:島村抱月・相馬御風  作曲:中山晋平           

一 カチューシャ可愛いや 別れのつらさ  せめて淡雪とけぬ間と    神に願いを ララ かけましょか
二 カチューシャ可愛いや 別れのつらさ  今宵一夜に降る雪の     あすは野山の ララ 路かくせ 
三 カチューシャ可愛いや 別れのつらさ  せめて又あうそれまでは  おなじ姿で ララ いてたもれ
四 カチューシャ可愛いや 別れのつらさ  つらい別れの涙のひまに   風は野を吹く ララ 日は暮れる
五 カチューシャ可愛いや 別れのつらさ  広い野原をとぼとぼと    一人出て行く ララ あすの旅

 

このページに関するお問い合わせ先

  • 浜田市 産業経済部 観光交流課
    電話:0855-25-9530   メールアドレス:kankou@city.hamada.lg.jp

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