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浜田市国民健康保険波佐(はざ)診療所

2014年 3月 24日

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住所  

浜田市金城町波佐イ441番地1

 

電話番号  

0855-44-0001     

FAX番号  

0855-44-0531

 

診療科目  

内科・小児科

 

施設紹介  

波佐診療所は西中国山地に位置し、南に標高1,069メートルの大佐山を仰ぎ ます。金城町波佐地区と小国地区を診療圏とし、外来診療、訪問診療、往診が診療所の主 な業務です。健康相談事業や糖尿病教室をはじめとする保健活動にも力を入れています。

 

診療時間

 

午前

9時~12時

9時~12時

9時~12時

9時~12時

9時~12時

9時~12時

休診

午後

2時~5時

2時~5時

2時~5時

2時~5時

休診

休診

休診

国民の祝日および12月29日から翌年の1月3日は休診です。

 

浜田市国民健康保険波佐診療所の基本理念

1.地域住民から信頼される診療所を目指します

 2.地域の需要を把握し、生活と密着した医療を提供します

 3.行政と一体となった保健、福祉にわたる活動を行います

 4.中核病院である浜田医療センターとの連携を十分に図り、医療の機能分担を促進させます

 5.地域医療に携わる医療者の育成に努めます

 6.長期間安定して医療を提供できるように、診療所スタッフにとって無理のない診療体制を構築します

 

波佐(はざ)診療所の歴史

【金城村-金城町-新「浜田市」】

      金城(かなぎ)町は1956年(昭和31年)8月1日に今福(いまふく)村、雲城(くもぎ)村、波佐村が合併して「金城村」として発足した。1969年(昭和44年)11月3日の町制施行を経て「金城町」となった。2005年(平成17年)10月1日、金城町を含めた1市3町1村が合併し、新「浜田市」が誕生した。

 

【金城村・金城町国民健康保険診療所-浜田市国民健康保険波佐診療所】

      波佐地区は戦時中から医師が定着せず、あちらこちらから招致して開業を依頼したが、長続きせず、住民は医療機関の設置と定着を要望しながら、実現できなかった。

      1958年(昭和33年)ごろから島根県国民健康保険団体連合会へ医師の斡旋を依頼していたところ、同年12月、急速に話が進み、鳥取大学附属病院桑原外科から医師の派遣を得て、レントゲンその他の施設を整備し、金城村国民健康保険の直営診療所として診療を開始した。その後、医師派遣の紹介先は綾部外科、続いて石原内科へ移り、医局からの医師紹介により診療を継続した。(注;当時は大学教授の名から○○外科、××内科と呼ばれた。)その間、1965年(昭和40年)に国道186号線の改良工事のため、診療所は移転した。

      1966年(昭和41年)10月から1968年(昭和43年)8月までは石原内科の紹介で嘉戸辰良医師と契約して運営した。嘉戸医師退職後は常勤医師がなく、以後、国立浜田病院(現在の国立病院機構浜田医療センター)天野寿院長のへき地医療に対する深い理解のもとに、国立浜田病院の医師により、毎日午後の診療が行われた。

      1993年(平成5年)波佐公民館の新築に合わせ、診療所は2度目の移転を行った。ときわ会館(波佐公民館)の南側に診療所は併設され、現在に至っている。

 2003年(平成15年)4月、実に34年7か月ぶりに、齊藤稔哲(さいとうとしあき)医師が常勤医師として着任した。以後、診療所を利用する患者は着実に増加し、診療件数は齊藤医師の着任前に、年間2100件前後であったのに対し、着任後には年間3600件前後と、約1.7倍に増加した。

      2005年(平成17年)10月、市町村合併に伴い、診療所の名称を「浜田市国民健康保険波佐診療所」と改めた。さらに、市町村合併時に国保診療所の医師を増員することが決定し、2006年(平成18年)より北條宣政(ほうじょうのぶまさ)医師が着任し、齊藤医師と2人体制での診療が始まった。

 

【小国出張所】

    波佐地区に隣接する小国地区は交通が不便であるため、小国出張所を設け、週2回の出張診療を行い、現在に至っている。小国出張所は小国公民館に隣接している。参考文献; 金城町誌編纂委員会編 金城町発行 金城町誌(全7巻) (1996年ー2003年)

石見で地域医療を行うこと

◆石見地方

    診療所のことをお話する前に、石見とはどんな地域かということを説明する必要があります。長く石見に住んでおられる方には、当たり前のことかもしれません。私は2年前から初めて石見に住み、石見のことを学びました。「医師として、私はなぜ石見にいて、石見で何をすべきか」という質問に対する解答を見つけながら、日々を送っています。

    浜田には1619年から1866年まで、浜田川が松原湾に注ぐ右岸の亀山に浜田城が築かれていました。現在は城跡だけが残り、「竜馬がゆく」などの作品を書いた歴史小説家の司馬遼太郎の碑があり、石見の風土と人々を美しい文章で表現しています。

    「石見國は、山多く、岩骨が海にちらばり、岩根に白波がたぎっている。石見人(びと)はよく自然に耐え、頼るべきは、おのれの剛毅と質朴と、たがいに対する信のみという暮らしをつづけてきた。石見人は誇りたかく、その誇るべき根拠は、ただ石見人であることなのである。東に水田のゆたかな出雲があり、南に商人(あきうど)と貨財がゆきかう山陽道があり、西方には長門・周防があって、古来策謀がそだち、大勢力の成立する地だった。石見はそれらにかこまれ、ある者は山を耕やし、ある者は砂鉄や銀を採り、ある者は荒海に漕ぎ出して漁(いさり)をして、いつの世も倦むことがなかった。(中略)いま、城あとは苔と草木と石垣のみである。それらに積もる風霜こそ、歴史の記念碑といっていい。」

    石見は長い歴史を通じて、経済的に決して豊かではありませんでした。高度経済成長期には、いち早く過疎を経験し、現在は「限界集落」が至るところにあります。その中で人々の幸せが音をたてて崩れてきるところもあります。さらに、恐ろしいことは、人々の心に、あきらめの気持ちや無力感が漂っているように思えることです。ここに、今の日本の縮図を見る思いがします。

 

◆西中国山地

    浜田市には4本の大きな川が流れています。東から下府(しもこう)川、浜田川、周布(すふ)川、三隅(みすみ)川です。その一つ、周布川を地図の上で遡ると、川が蛇行し、2つのダムを超えて、我々の診療所の診療圏である小国地区と波佐地区にたどり着きます。実際は浜田から国道186号線を南下し、5つのトンネルを通り30分ほどで波佐診療所に到着します。川の流れが深い谷をつくり、清らかな水が流れています。広島県との県境には標高1069メートルの大佐山(おおさやま)と標高911メートルの雲月山(うんげつざん)がそびえ、ツキノワグマをはじめとする野生動物が生息しています。冬には雪が深く、高齢者の生活を著しく困難にしています。農業とのつながりが深く、日々の生活の中で、人間が自然と深く関わっていることを思い知らされます。

    全国的には、人間が自然と離れて暮らすことで、生きることの基本である「衣食住」が他人の手にゆだねられています。外国産の食物が次々と輸入され、カロリーベースの食糧自給率が39%と、史上最低になりました。また、木材の輸入により、木材の価格が低落し、建材用に植林した林が放置されることが多くなりました。農地は原野に戻り、手入れをしていない山は荒れています。

    地球温暖化対策とリサイクルは大切なことですが、それだけでは、環境に優しく暮らしているとは言えません。人々が自然に触れる機会が本当に少なくなっています。都市に住む人々が、農山村を訪れ、そこに暮らす人々に思いをはせることが必要だと思います。あるいは、都市から農山村に移り住んだり、週末などに農山村で過ごすことができる環境があれば良いと思います。

    波佐・小国地区は人口は減っているものの、毎年、一定数の出生があります。子供の姿を見ると、この地域に希望の光があることが分かります。そもそも3500年前の縄文時代後期から、この地域には人が住んでいたことが知られています。清らかな水があり、動物が棲み、食料が自給できたからだと思います。雄大な自然の中で、人々の暮らしが累々と続いていることを感じ、それがいつまでも続いてゆくことを願っています。

 

◆地域医療を支える

    金城村国民健康保険診療所は1959年に開設され、約10年間は常勤医による診療が行われていました。1968年から2003年までの約35年間は国立浜田病院(現在の国立病院機構浜田医療センター)から医師の派遣を受けて診療が続けられました。2003年、齊藤稔哲医師が常勤医として着任しました。2005年、市町村合併に伴い、現在の名称に変更され、2006年から齊藤医師は浜田市地域医療対策課へ異動し、波佐診療所に私が着任しました。

    現在、浜田市には4人の常勤医師と1人の非常勤医師が在籍し、4か所の国保診療所である大麻診療所(1955年開設)、波佐診療所、弥栄診療所(1996年開設)、あさひ診療所(2005年開設)で診療を行っています。浜田市国民健康保険診療所連合体として活動し、それぞれの医師の専門性を生かした診療を行うため、曜日により担当を決めて各診療所を巡回しています。

    地域医療を存続させるために、地域医療を担う人材の育成が重要な課題です。毎年、中学生から大学生まで職場体験学習や地域医療実習を受け入れ、次の世代を育成しています。昨年度は診療所連合体で初めて、初期臨床研修医2名をのべ3か月間、受け入れました。

    地域医療に魅力を感じる医師や医療スタッフが、一人でも多く生まれることを最大の喜びとしています。

 

◆石見の魅力

    石見を代表する人物に、今から約1300年前に活躍した柿本人麻呂がいます。「万葉集」を代表する歌人である人麻呂は、宮廷歌人として多くのすぐれた歌を残しました。理由は分かっていませんが、石見地方に移り住み、依羅娘子(よさみのおとめ)を妻とし、妻を思う歌を残し、石見の地を終焉の地としました。中央で一世を風靡した人麻呂が、海と山に挟まれ、都とは全く異なる石見の地に住みながら、多くの歌を残したことは、石見の自然と人々を愛したからだろうと思います。

    診療を通じて、地域の方や医療スタッフから波佐・小国地区や浜田や石見のことを学んでいます。人麻呂が依羅娘子たち石見に住む人々から学んだことを思い浮かべながら、さらに、この地域の魅力を知り、医療の立場で貢献できればと考えています。

 

(機関誌「しまねの国保」 2008年4月)

 

 

後期高齢者医療制度について

<経済的な背景>

    2008年4月から後期高齢者医療制度(長寿医療制度)が始まりましたが、名称や保険料の徴収方法などに不満の声が高まり、早々に保険料額や徴収方法などが変更されました。また、特定健康診査では、75歳以上の方で慢性疾患のために治療している方が健康診査の対象外とされました。「高齢者を見捨てるのか」という不満の声をよく聞きます。

      「年間2,200億円の社会保障費を削減する」という国の方針に対して、日本医師会は反対の声を上げました。また、賃金が安い介護従事者の人材不足が社会問題になっています。地域医療を支えてきた全国の病院では、激務に耐えかねた勤務医が離職し、医療崩壊が進んでいます。ようやく、医師の絶対数が不足していることを政府が認めるようになりました。医療費や社会保障費が削られていることが、問題の根底にあると思われます。

 

<高齢者の特性にあった医療制度>

      高齢者は複数の病気を持つ方が多く、健康管理の方法は一人一人異なります。かかりつけ医は良き助言者として、個々の特性にあった健康づくりを支援することが望まれます。後期高齢者医療制度で評価できる部分は、かかりつけ医の役割が明確になったことでした。かかりつけ医は高齢者の方の健康に関する問題を総合的にとらえ、治療だけでなく、生活の問題を知り、たくさんの疾患を抱える方や複数の医療機関にかかっている方にも、良き理解者として、高齢者を支えるという形態をとっています。

      後期高齢者医療制度では、検査・治療計画をかかりつけ医と患者が協力してつくり、医師と患者が同じ目線で考えるという理想的な関係がうたわれていました。後期高齢者医療制度が、財政的な点で足もとをすくわれ、倒れかかっていることは残念なことです。

 

<波佐診療所の慢性疾患管理>

      波佐診療所では、2006年度(平成18年度)から、電子カルテを導入しました。昨年は定期的に受診されている方に病歴調査を行い、診療に必要な情報をカルテにまとめ、診療の際に一人一人の状況が一目で分かるようになりました。今年度は、後期高齢者医療制度では前進しなかった検査・治療計画の作成し、高い精度の診療を行うことを目指しています。

(波佐診療所だより 2008年8月)

 

このページに関するお問い合わせ先

  • 浜田市 健康福祉部 地域医療対策課
    電話:0855-25-9311   メールアドレス:iryou@city.hamada.lg.jp

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